シェフの見た地中海の歴史と文化ー10

ツール・ド・フランス−2
話が飛びました。パリでの学生生活は貧乏の連続でした。一週間、水だけとい
う事もざらにありました。美大に行く人間は2種類います。社会と協調する術を身
に付けている人、もう片方は常識に捉われず、はちゃめちゃな生き方をする人、
私は後者の方でした。サンジェルマンで逆立ちしててもボザール(パリの美術学
校)の生徒だと知ると、パリの人間は納得するのです。大道芸人かと一フランを
置いていきます。バゲットが1フラン20サンチームでした。この街中でのパフォー
マンスは実は素人がやっている訳ではありません。縄張りがあり、彼らはプロな
のです。ショバ代も必要です。こんな時、前述のマルコのコネがものをいいました。
一等地のポンピドーセンター前の場所をもらいました。(その後パフォーマーが増
えてパリ市への許可、登録が必要になりました)
友人を集めてパフォーマンスの算段です。内容がいい方がウケが良く儲かるか
らです。最初は、中南米の友人たちと民族衣装を着て「コンドルは飛んでいく」な
んかを演奏しました。日本人は充分にインディオに見えるのです。この時は儲かり
ましたが、如何せん、人数が多すぎて、取り分が少なく、程なくして仲間割れして
しまいました。それから考えたのは中国人の友達と空手ショウをする事です。ブル
ース・リーもジャッキー・チェンも有名でしたから、東洋人は皆、空手をすると思わ
れていました。実は私は空手をやった事がありませんでした。剣道と柔道は経験が
ありましたから、まあ何とかなると・・・・要は見ている人が楽しめる事が重要です。
ヤン君と二人でああだこうだと脚本を書きました。僕が弱い間抜けな正義の味方
で、ヤン君は強い悪漢です。事実、彼はカンフーの上段者でした。眉毛も太くした
メイクです。立ち回りの練習は何度も近くの公園でしました。この時、すでにかなり
の数の見学者が周囲を囲みました。ボコボコにやられる私を子供たちが応援する
のです。最後は私が地面に落ちたお金を拾おうと屈んだ時に、ヤン君が吹っ飛び
ます。いかにもワザとしたかのように得意げに演技します。偶然が重なって最後、
ヤン君がやられてしまうという筋書きです。やんややんやの大喝采。これはイケル
と二人で大喜びしました。本番のポンピドー前でも同様に大受けでした。この時の
儲けが旅行代金になるのです。一日、一人当たり1万円以上になりました。ヤン君
を悪者にして申し訳ない気持ちでしたが、彼曰く「悪役、ヤラレ役の方が技術的に
上じゃないと怪我をする」という話でした。それ以来、カンフー映画を見る時はヤラ
レ役にも注目しています。(笑)
7、8月のパリは別の街になります。ほとんどのパリジャンがバカンスに出かける
からです。観光客でごった返すパリは好きではありません。私はヤン君に彼のおじ
いちゃんの家に行くので一緒にいかないかと誘われましたが、私は昨年の夏にア
ルバイトしたルールドへ行くことが決まっていました。「夏休みも働くの!本当にロ
ッシは日本人だなあ」と言われました。私は日本人としては怠け者の部類ですが、
それに輪をかけたのが、こちらの人間です。相対的に働き者の部類になってしまう
のです。この部分がフランスの居心地のいい所でした。いい加減な私はフランスで
は当たり前、自分勝手な部分もこちらでは当たり前だったんです。人間的なという
表現で許されてしまうんです。ですから、フランスは居心地がよく、日本に戻りたい
と思った事がありませんでした。無理しなくていいのでストレスがなかったのです。
最近、個人主義という言葉が日本でも使われるようになってきましたが、本来の個
人主義は他人を干渉しない、他人を認め尊重するという事です。それによって自分
の主義主張が尊重されるのです。そこを勘違いして利己的な事を個人主義的なな
どといういい加減な表現が使われています。残念です。でもフランスも最近は利己
的な人間が増えたとフランスの友達が嘆いていました。
ルールドへは自転車で向かいました。パリは好きなのですが、ちょうど市を囲む
環状高速道路周辺と郊外の街並みは好きになれませんでした。何か殺伐とした感
じがしたのです。特に自転車で走っていると気が滅入ってきます。早く、その中から
抜けようと一目散に南西を目指しました。フランスの道はパリから放射状に地方に
伸びています。目的の地方への幹線道路を間違えると、短時間でとんでもなく離れ
た所に行ってしまいます。横の連絡道路もあるのですが、無駄な距離を走る事にな
ります。クモの巣を思い浮かべてください。パリからオルレアンへ。この町はジャンヌ
ダルクの生まれた町で有名です。「オルレアンの少女」です。ロワール川沿いに発
展した中世からの町です。