カルタゴの店名について
(Carthagoはローマ名、欧米ではCarthageが一般的です)
お客様に「何故カルタゴという店名なのか?」とよく尋ねられます。元々、私(シェフ)
もママも地中海世界と料理が大好きで、そういう店をしたかったのが最初です。この
地中海料理という言葉は曲者です。人によってイメージが違う言葉です。でも日本で
地中海料理といえば、海が付いているだけに、多くは魚介料理のイメージです。残念
ながら、それは当の地中海沿岸の人々の料理とは大きく違うのです。つまり、南仏や
イタリアの漁村の料理が日本で言う地中海料理なんです。勿論、それはそれで美味
しいんですけど、それが全てではありません。それは地中海料理の一面でしかないと
言いたいのです。地中海世界の多様性を知っていただく為に、簡単に古代地中海の
歴史を、お話しします。カルタゴが滅ぶまでの歴史です。(笑)
古くは古代ギリシャ、フェニキア、アナトリア(クレタ)、古代エジプトに始まる地中海世
界は、続くカルタゴ、ローマ、イスラム王朝と覇者が変わっていきます。こう書いただけ
で地中海世界の多様さがお分かりいただけます。そのモザイクのような文明と文化が
入り乱れるのが地中海の魅力なんです。
■紀元前3世紀の地中海世界図(東光書店・シルクロード歴史地図より転載)
「トロイの木馬」で有名な「イーリアス」を書いたホメロスの文献に海洋貿易国家のフェ
ニキア人が登場します。今のレバノンから発した彼等は、今のコルシカ島、サルデーニャ
島、シチリア島、北アフリカなどを勢力範囲に収める都市国家を、今のチュニジアに建設
します。それが「カルタゴ」です。ローマはようやく都市国家として形を成し始めた頃でし
た。でもローマは、軍事国家でした。貿易で利益を揚げていたカルタゴと違い、戦争によ
って拡大する国家だったのです。ローマ市民は、財産を軍備に当てさせられ、戦争に勝
った時に搾取した戦利品で見返りを貰っていたのです。国をあげて「イケイケGOGO!」
状態です。半島統一すると、当然、豊かなカルタゴが目に付きます。対岸ですから。色々
難癖つけて、戦争に持ち込みます。今の時代と何も変わらない軍備した国の慣わしです。
カルタゴは軍備は持たず、傭兵に頼っていました。有名なのは、ハンニバル将軍です。
イベリア半島から象部隊でアルプスを越えローマを攻めたのは、今も語られる史実です。
それでも、3度のポエニ戦争でカルタゴはローマに滅ぼされます。軍事国家はバブル経
済のようなもので、イケイケの時はいいのですが、いつまでも戦争し続ける事は出来ま
せん。相手が居なくなるからです。国家は平和な時にどう平和を維持し発展させるかが
大事だと、歴史は教えてくれます。個人的に答えは、ローマではなく、カルタゴにあると
思っています。
魚介料理が中心ではない地中海料理店をイメージした時、この 「カルタゴ」という国
の名前がうってつけでした。今のチュニジアに名前が残っているので、チュニジア料理
店と思われがちですが、私達は、もっと広い範囲の地中海料理店をイメージしていたの
です。現在、カルタゴ(レストラン)には、トルコ、レバノン、エジプト、チュニジア、モロッコ
料理などがあります。何故かお分かりいただけると思います。これらの国々は、たまたま、
現在、イスラム国家なので、敬意を表し、ハラルにしていますが、元は、幅広い地中海料
理の魅力を知っていただきたかったのです。学術的でもなく、宗教的でもなく、あの地域
の料理をしたかったのです。欧米人のお客様には、「地中海料理カルタゴ」で、当店のコ
ンセプトがすぐに理解していただけるのですが、日本の方々には難しいのです。これは
自国の文化の根底に、古代地中海世界がある国の人達との違いです。仕方ないことで
す。ですから簡単に歴史をお話ししました。日本には馴染みのない世界なんです。だか
らこそ逆に、日本でする意味があると思っています。意外と知られていない地中海世界
をお客様が料理から感じていただけたり、知るきっかけになれば、望外の喜びなんです
けど・・・それと店名「カルタゴ」にこめた思いなんかも感じていただけたら・・・
カルタゴ シェフ カリム はたなか
■貿易国家カルタゴの通商範囲図 (Carthage Alif出版から転載)
■チュニス湾を望むカルタゴの市街イラスト。丸い建物は船(軍船ではなく貿易船)
のドッグで、真ん中の丸い建物が修理工場です。ものすごく合理的な構造です。
■チュニジア国立博物館のパネル画と、現在のCarthageの地図です。2000年以上
経っても痕跡が残っているのに驚かされます。ローマによって破壊されたのですが。
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