カイロに戻って知人宅に一泊、エジプト人のお手伝いさんがコシャリを作ってくれました。パスタ
米、レンズマメなんかが入った混ぜご飯みたいな料理で、エジプト人のソウルフード?トマトソ
ースとカリカリに揚げたタマネギを乗せて食べます。シンプルだけど味わい深い一品です。肉は
入っていません。街中でもファーストフード的に良く食べられます。
こちらはオレンジ色のレンズマメのスープ。ショルバアッダスというアラブの代表的な一品。
クリーミィで優しい味です。お腹にたまるんです。ベースはチキンです。
知人が暮らす地区。静かな住宅街です。車の駐車がすごいんですよねえ。
午後、知人のお抱え運転手の車でスーパーへ。これはお菓子売り場。バクラヴァが綺麗に詰ま
れています。1/2kgみたいな買い方をします。1個2個ではないのがアラブ的ですね。このスー
パーで食材を買い込みました。
こんな郊外型スーパーです。何でも売っています。ショッピングカートも大きいし大量に買うんで
すよね。どの人も車のトランク一杯に荷物を積み込んでいます。
スーパーからの帰り道、遠くにギザのピラミッドが見えました。そういえばエジプトに来て初めて
見ましたね。変な旅行者です。ピラミッドはカイロ郊外なので、それを目的にしないと行けません。
思えばこの日は日常的な一日で、スナップ写真以外撮っていないんです。ずっと知人と書いて
きた人は、実は昔、カルタゴでアルバイトしていた女の子なんです。わが子のように思って付き
合ってきましたから、知人と書くたびに変な感じでした。この日の夜、ワゴン・リ(寝台車)に乗っ
てルクソールに向かいます。出発はギザ駅です。ピラミッドのあるギザと違ってカイロ市内にあ
るギザ地区の駅です。ややこしいんです。
走る列車の中から撮影した満月です。ナイル川沿いに走るので緑があります。こうした写真は
本当に難しいです。ガラスが映り込んだりブレたりで・・・
同じく車窓から撮影した朝日です。もうルクソールも近いですね。しっかり眠った筈なんですが、
アクビの連続。空気もいいはずなんだけど・・・
ルクソールに到着する頃、西の空に気球が見えました。実は明日の朝、あれに乗るんです。
高いところが苦手なんですが、どうしてもナイルと遺跡を空から見たくて、思い切って・・・
ルクソール駅に到着です。寝台車はアブシンベルからアスワンまで行きます。立派な機関車が
停まっていました。向こうの機関庫も気になります。でも先を急ぐので・・・
ルクソール駅の外観です。こんな早朝にも関わらず、ガイドの客引きが一杯です。ワゴン・リは
何故か外貨でしか買えないので外国人が多く、当然といえば当然なのかもしれません。
宿泊するホテルは、駅から1kmもないので歩く事にしました。そんな観光客はいません。歩い
ているうちに日が昇って明るくなっていきます。観光地より人が暮らす街を見るのが好きです。
こんな早朝から営業を始めるスパイス屋さん。きっと朝ごはんのお茶を買う人の為ですね。
果物屋さんも早起きですね。左の洋ナシみたいなのはグアバ!ジュースが美味しいです。
シーシャ(水タバコ)を吸うオヤジを撮影していたら、俺のオート三輪も撮れとウルサイお兄ちゃん。
HAWAってメーカーはどこのだろう・・・
これがそのオヤジ!いい味だしています。こういう写真が撮れるから街歩きは楽しいんです。
朝日がモスクのミナレットに当たって輝いています。
俺も撮れといってきた八百屋への運び屋。こいつはチップを要求。1EP(20円)あげました。
エジプトでは頻繁に金銭を要求されます。バクシーシ(ほどこし)と言われるもので、お金は水
のように高い所から低いところへ流れるものという考え方があるからです。
ナイル川が見えました。宿泊するホテルは川沿いです。リバービュウの部屋なんです。まだ
チェックインには早いので荷物だけ預けて散歩です。むこうに気球が見えます。
■簡単な古代エジプト史
私が興奮してルクソールと大騒ぎしても歴史が分からないと面白さが半減(それ以下)します
から、簡単に古代エジプト史をおさらいします。(資料:世界史図説/東京書籍・地球の歩き方
/エジプトなど)王(ファラオ)の名は色々あるのですが、教科書などの一般的な名前にしてあ
ります。おまけで、お店の名前になっているカルタゴについても記述しました。
●初期王朝時代 前3000年〜 メネス王がエジプトを統一。首都はメンフィス。ピラミッド建設。 ●古王国時代 前2650年〜 サッカラの階段ピラミッドからクフ王のピラミッド建設。 ●第一中間期 前2490年〜 古王国時代が衰退し、地方豪族が力を持つ。 ●中王国時代 前2040年〜 エジプト再統一され都がテーベ(今のルクソール)に。 ●第二中間期 前1720年〜 アラビア・シリアからヒクソスの侵入。エジプトが混乱する。 ●新王国時代 前1680年〜 ヒクソスが下エジプトに建国。都はテーベ。神殿建設。 前1520年〜 トトメス1世パレスチナに遠征。王家の谷に墓を作る。 前1500年〜 トトメス1世の娘・ハトシェプスト女王(初の女王)葬祭殿建設。 前1470年〜 トトメス3世の時代、エジプト王国最大版図。 前1365年〜 アメンホテプ4世、首都をアマルナに移す。 前1350年〜 ツタンカーメン王即位。都をテーベに戻す。 前1320年〜 ラムセス1世即位。 →モーゼの出エジプト。 前1275年〜 セティ1世即位、アジア遠征。 ●第三中間期 前1150年〜 新王国衰退。タニスに新王朝。 ●末期王朝 前1080年〜 リビア人の支配。クシュの支配の後、ペルシャの支配などが続く。 前332年〜 アレキサンダー大王のエジプト征服。 ●プトレマイオス朝 →前264 第一次ポエニ戦争(ローマ対カルタゴ) 前304年〜 プトレマイオス1世(アレキサンダー大王の部下)が即位。 前30年 クレオパトラ7世自殺 →以降ローマ帝国の支配下 ※カルタゴがローマに滅ぼされたのは前146年。 |
学生時代のノートみたいになりましたが、大まかな前後関係が分かるだけでいいと思います。
ルクソールはナイル川をはさんで、神殿のある方を東岸、王家の谷がある方を西岸といいます。
ルクソールの神殿、葬祭殿、王家の谷など、全て新王国時代のものです。
ホテルのすぐ近くにあるルクソール神殿を見に行きました。でかい!そういえばエジプトの古代
文明の遺跡を見るのはこれが初めてです。真ん中に後世に作ったモスクが見えます。
参道から撮影したルクソール神殿。オベリスクは左右対称であったそうで、右の一本はパリの
コンコルド広場に立っています。パリに住んでいた頃、何度も見ています。時を越えて見る風景
です。ちょっと感動。アムン神殿の付属として作られたものと言う事ですが・・・
とにかく大きくて、カメラでは収めきれないスケールです。写真を撮るよりも見るほうに専念。
ラムセス2世像は坐像であの大きさです。中に入って中庭を撮影・・・
う〜ん、やっぱりスゴイとしか言いようがありません。歴史を書き並べる事すらバカらしくなります。
ヒエログリフもしっかり残っています。この神殿が建ったのは紀元前1600年ですから、3600年
の時を経て、この状態を保っているのです。古代エジプト人にとって神殿は神の家とされていた
のですから、神は巨人と考えていたのでしょうねえ。
神殿の隣にあるモスクのミナレットと太陽が重なって思わずシャッターを切りました。まだ始ま
ったばかりですが、ルクソール滞在は精神的にも体力的にもタフさが必要なようです。
ルクソール神殿から歩いてカルナック神殿までやってきました。エントランスにあるジオラマで
どういう神殿だったかを大まかに把握しておきます。これをしておくと自分がどこを歩いている
のか分かります。
これから向かう方向です。壁のようにそそり立つのは塔門と呼ばれ第一塔門、第二塔門と
並んでいます。直角に右にいった所が第7塔門、右奥に「聖なる池」があります。
ジオラマで把握する意味が分かったでしょうか。この大きさです。居場所が分からなくなります。
幸いデジカメは撮影したジオラマを見直す事ができます。羊の頭を持ったスフィンクスを両側に
第一塔門に向かいます。
第二塔門。ジオラマと違って上部が崩れています。入るとヒエログリフが彫られた太い柱が林立
しています。列柱の密度から完成当時は屋根があったんでしょうね。
上に天井が残っている所がありました。勿論、石ですから重さを支えるにはこれ位の柱が必要
だったのでしょうね。地元の恋人達のデートスポットにもなっているようです。
アムン神殿の方を見るとオベリスクが建っています。記念写真も思い思いのスタイルですね。
神殿の一番奥です。アムン・ラー神至聖所と言われる所です。昔は入れなかったでしょうね。
トトメス3世祝祭殿側から、入り口方向(列柱)を撮影した写真です。瓦礫の山です。
カルナック神殿の大きさは、本当にカメラでは収めきれないものばかりで部分写真ばかりです。
ルクソール神殿とカルナック神殿を見て歩いただけで結構疲れました。ホテルにチェックインして
休む事にしました。部屋から見たナイル川と西岸。緑と水があるとほっとします。
お茶したりしているうちに陽が沈み始めました。砂漠に沈む夕陽は赤が強く感じます。
陽が傾くと渡り鳥が編隊を組んで北に飛んでいきます。何の鳥なんでしょう。結構大きい?
三脚を持って来なかったので、ベランダにカメラを固定して、夜景撮影してみました。デジカメは
すごいなあ〜奥行き感のない写真になるって言われるけど、素人には充分ですね。
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