


幼い頃から砂漠へ憧れを持って
いました。「月の砂漠」という童謡
も好きでした。「アリババと40人の
盗賊」も・・・高校生の時に見た「ア
ラビアのロレンス」がトドメでしょう。
アラビア半島の砂漠の遊牧民はベ
ドウィンと言いますが、サハラの民
はトゥアレグ、ベルベル、ノマドなど
です。ベドウィンはアラブ人ですが、
サハラの民はそれぞれ別な人種で
す。特に北アフリカではベルベル人
が重要な役目を担っています。彼等
の言語の特徴は同じ音を繰り返す
点です。ヨーロッパで野蛮人を指す言葉がバーバリーと言いますが、勇敢な彼等の
事でした。有名な料理「クスクス」も彼等の民族食です。ベルベルが歴史に登場す
るのは有史以前からです。世界史を紐解くと、Berbers(Afro-Asiatics)と北ア
フリカに記されています。彼等は西アジアとの交易を盛んにしました。チグリス・ユー
フラテス河畔で始まった麦の栽培も、ほどなく伝わったことでしょう。これは私の持論
ですが、クスクスという料理の起源は紀元前も随分前の事だと思っています。砂漠を
旅する時に必要なものは、水と食べ物です。
昔、トゥアレグの人とサハラを旅する機会がありました。その時の事です。、夜に暖
を取る焚き火の準備をします。(砂漠は日中は40度以上になりますが、夜は零度に
近い気温になります)焚き火の下に、水と塩で練った小麦粉を地面に広げたのです。
砂の上です。細かなサハラの砂はきな粉をまぶしたように・・・・その上に木(オアシス
で拾ったなつめやしの枯れ木)を置いておもむろに火を付けました。火の上では鍋に
肉や野菜(玉葱とじゃがいも)と乾燥トマトとハリッサを放り込んで煮るのです。火は
鍋を舐める様に燃え上がり、とても料理しているとは思えませんでした。火の粉が天
高く舞い上がり、ゾロアスター教(拝火教)とは、この火への思いかとも思いました。
突然、大きなタンバリンの様なものを出して歌いだしたのです。真っ暗な闇、赤々と
燃え上がる火と、浮かび上がるトァレグの顔、歯だけがやけに白く浮かび上がって!
不思議な時間でした。それは食べるという行為を賞賛するような宴でした。一時間以
上も歌い、踊り、食事の事も忘れた頃に、唐突に宴は終わり、花柄のホーロー洗面
器に鍋のものをあけました。盛り付けなどというものではなく、ドバッです。そしてかな
り下火になった焚き火をどけて、砂だらけのパン状のものを取り出しました。パンパン
と手で力強く叩くと砂は綺麗に剥げ落ちたのです。それを皆にちぎって渡して、皆で洗
面器を囲み、ムシャムシャ。呆気に取られている僕に「早く食え」と催促です。長く煮
込まれたシチュウは柔らかく絶品でした。パンですくうようにして食べます。パンがない
時は、このシチュウを煮る上に蒸し器状態でクスクス(オリーブオイルと塩と水を混ぜ
た)を置きます。なんと合理的な調理法でしょう。食べるのはホーローの洗面器です。
専用だとお思いでしょうが、朝はこれに水を入れて顔を洗う、本当に洗面器なんです。
クスクスは粉にした後、塩水で揉んで粒々にして蒸してから天日干ししてありますから、
保存も調理も簡単なのです。2時間近い調理時間は骨の付いた肉がほどける状態に
なるという事です。時計を持たない彼らは歌がタイマーなのです。なんと素敵な時間で
しょうか。食べた後の洗面器は砂で擦ってきれいにします。水を徹底して使わない砂漠
の民です。歯磨きで水を流しっぱなしにする現代人の僕に、汚いなどというコメントなど
言えるはずもありませんでした。
火も消えかかった頃、空が突然、目に飛び込んできました。それまで火で見えなかっ
た闇だと思っていた空です。満天の星たち・・・・・真っ黒な砂漠のシルエットと比べると
すごく明るい夜空。緩やかなカーブを描く、地平線から地平線まで、降るような星です。
言葉に出来ない感動が体の中から湧き上がって涙が止まりませんでした。この世界の
中ではなんとちっぽけな存在でしょう。「星の王子さま」も「異邦人」もこうした風景の中
で生まれたのです。その後、パリに戻って読み返しました。まったく別の本のようでした。
本当に上っ面だけしか読んでなかったと反省しました。
人は何かのきっかけで変われるのです。私は自分を誤魔化して生きてきた自分と決
別したのは、まさにこの時かもしれません。大差はないかもしれなかったのですが、考
え方が人生観が変わったのです。
フランスに留学して、見たものは日本にいる日本人として仮の生活という思いがあっ
たのです。その時、その場で一生懸命に生きようなどとは思っていなかったのです。そ
んな人間は日本でも、どこでも生きられる筈がありません。どんな環境でも、どんな最悪
な状況でも一生懸命でありさえすればいいと思ったのです。いつか呼吸が止まってしま
うその時まで、なりふり構わず生きていれば、それが素敵な人なんだ。人間なんだと思
ったのです。この哲学的とも思える思いはパリに戻ると、すぐに消えそうになりました。
なんという俗物でしょう。でも、苦しい時にあのサハラの夜を思い出すと、自分の悩みな
ど、ちっぽけなものに思え、客観的になれたのは少し前進したのかもしれません。自分
に正直に!自分には嘘をつかないという当たり前の事が分かった旅でした。

次も読んでくれます?