丸金電鉄製作記
「けったいな名前やなあ〜」ですね。実は禁断のパンタ物のレイアウトです。ヤフ
ーオクションで手に入れた乗工社の東急二子玉川のペコちゃんのレイアウトを
軌道と専用線で、しかも架線集電で作ってみたくて・・・名前については深く追求
しないで下さい。不景気な世の中、大好きな青木氏の漫画のノリです。「こてこて
やで〜」(東京だろ・・・)車両はモーター交換とパンタ交換(ヨーロッパ製)をします。
架線はヨーロッパ物を使うか、自作か悩んでいるところです。とりあえず今まで全
く視野に入ってなかった分野なので取材に行きます。
たはは、休みを利用して世田谷線を見に・・・・そうそう古い駅や70形も80形も
2001年3月に消えたのでした。RMで特集してましたね。興味がないと記憶に残ら
ないものなんですね。そこで資料を買ってきました。
←世田谷のちんちん電車(玉電今昔)
林 順信 著・大正出版 ¥3200
※世田谷・たまでん時代
宮脇 俊三・宮田 道一編著もあり
「今日ものんびり」シリーズ →
世田谷線〜さよなら玉電時代の旧型電車〜
武相高校鉄道研究同好会
竹内書店新社 ¥1200
見れば見るほど、このスケールを小さなレイアウトに押し込めるのは困難に思えます。
レイアウトは切り取られた一部の表現とはいえ・・・・もう少し頭の中で消化します。ペコ
ちゃん(デハ200形)は僕が生まれた頃の車両です。子供の頃、母親の同僚が東京
みやげに小田急のロマンスカーとデハ200形の模型を買ってきてくれた事を思い出し
ました。きっとコアなファンが居ると思うのでイメージ壊しそうで怖いなあ・・・・
車両のテストを繰り返しました。急
曲線などです。やはり小さなレイア
ウトに押し込むには改造が必要なよ
うです。足回りと連結部分(スポンジ
の幌)などです。写真のレールはス
バル氏からの譲り受けたものです。
架線柱も短線用、複線用があります
が、玉電のイメージを考えると使う事
がためらわれます。ああストラクチャ
ーも悩みますね。ううううう(考え中)
■アイデアスケッチ
●丸金電車(通称丸電)物語 「時をかけるオヤジ番外・おらあ東京サ行ぐだ〜編」
昭和40年代、日本はオリンピック景気に沸いて高度成長期の真っ只中にいた。交通量
も増え、路面電車はただの邪魔者扱いをされていた。都市交通においてのエコロジーや
ポリシーのかけらもない当局は玉電を廃止に追い込んでいく。二子玉川で転がされたペコ
ちゃんことデハ200を哀れに思った鉄道の神様は・・・・物語はそこから始まる。
世田谷の梅新町に郷田庄助なる地主が居た。彼の孫の信之助は電車が好きで、不三家
(ふみや)のケーキが大好きだった。ある日、信ちゃんが大好きだったデハ200が廃車に
なる話を聞いた。「ジジ、あの電車買ってクレや、でないとおらぁ不良になって、ぐれよん信
ちゃんになっちまうど〜」郷田は目に入れても痛くない程、可愛がっている信之助の為に、
そして自分の敷地内にある梅新町1丁目の為に、デハ200を引き取りレールを敷いた。
信之助の通う学校のある伝承寺境内の脇に駅をつくりグルリとまわる、その線を誰言う
ことなく、丸金電車と呼んだ。明治生まれの郷田は豪快な男だった。「気に入った丸金電
車!丸電いいじゃないか」渋谷から二子玉川への併用軌道が廃止されても、丸電は走っ
ていた。もしかすると、信之助の通う中学、高校と丸電は伸びるかもしれない。