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                      サマルカンド
 本当はブハラにも行きたかったのですが、5日という日程では無理だと言われて・・し
ぶしぶ諦めました。サマルカンドも世界音楽祭があるのでホテルが取れずに日帰りで
した。しかも、ワイナリー訪問が入って街を見れたのが、午後3時から・・・・ぐしゅ・・・
 サマルカンドで思ったこと・・・ウズベキスタンという国の価値は、東の中国からオリエ
ントとヨーロッパを結んだ交易路にとどまらず、イスラム文化が華開き、まさに文化を発
信する国だったところにあります。料理もワインも、彼らの誇りが生み出した文化遺産
です。それが現代まで続いている筈です。これは旅行者のエゴではなく、真のウズベ
キスタンの魅力です。本国の人もそう言います。なのに・・何故?こんな気持ちが頭の
中でグルグルと回っていました。
 トルコでもアラブでも、ここウズベキスタンのサマルカンドを首都としたチィムール帝国
も、ペルシャなどの建築家や詩人などを招聘し、文化を築きました。最初に訪れたのが、
そのチィムールと一族が眠るグリ・アミール廟です。人類の長い歴史の中では、一人の
人間の人生なんてあっという間の事です。でも、こうした建物を残し、名を残す人がいま
す。自分が死んで何が残るのだろう。そんな事を考えてチィムールの棺の傍に立ってい
ました。内側の激しいまでの装飾は、グラナダのアルハンブラの栄華をも凌ぐものです。
息を飲むとはこういう事をいうのでしょう。文化庁のカミールさんが一緒なので、どこでも
フリーパスでした。その上、照明を照らし詳しい説明をしてくれました。熱心に聞く私に、
申し訳なさそうにカミールさんは「今度は全部ゆっくりまわるようにしましょう」と、そしてブ
ハラやヒワの素晴らしさを語ってくれました。う〜行きたい。今回は不可能でしょうが、次
は出来れば陸路をゆっくり行く旅行がしてみたいですね。
 時間がないのでレギスタン広場へ、翌日から始まる音楽祭の準備に、知っている広場
とは別の顔をしていました。中は見ることが出来ません。時間がないので見れてもしょう
がないかあ、と諦めました。ウズベキスタンはソビエトから独立して10年です。そういえ
ば10という数字があちこちに掲げられていました。それに聞きしに勝る検問の厳しさは、
9月1日の記念日にむけてです。普段見れないレギスタン広場の写真を載せますね。そ
れからタシケント通りを歩いて、ビビハニム・モスクへ、当時イスラム世界最大の建造物
で、サッカー場がすっぽりはいる敷地に、チィムールの命で建てられました。完成を急ぎ
すぎた為に、完成当時から崩壊が始まったといいます。大きな構造にも無理があったと
いいます。現代の技術で修復をしています。でも完成当時にする必要があるのでしょう
か。私は疑問に感じます。ドーム部分のみで充分だと思うのですが。
グリアミール廟全体
廟のドーム
レギスタン広場全体
マドラッサ全体
ビビハニム・モスクのドーム
↑グリ・アミール廟(チィムールが眠る)

       いつもと違う顔を見せるレギスタン広場→

↓大きなドームを持つビビハニム・モスク
 陶器製のウズベキ
    スタン人形が鎮座→






         街の風景→
生ビールがうまそう!
 ビビハニム・モスクを出て、タシケント通りを北へ、左はバザー
ルで商店街が続きます。時間がないよう〜本当はゆっくり人々
の生活が見たい。どんな国でも、カフェ(中央アジアはチャイハ
ナ)とかで、のんびり待ち行く人を眺めるのが大好きです。サマ
ルカンドは、こじんまりとした街で、清潔で、腰をすえて過ごした
い所です。バザールも見たかったなあ〜また来よう!タシケント
通りが交差するところを右に行くと、一番訪れたかったシャーヒ
ズィンダ廟群に着きます。ここは廟やお墓が街を作っています。
入り口(チィムールの孫のウルグベクが作った)を入ると階段が
あって、上ってから死者の街の通りがあります。行きと帰りに階
段の数を数えて、同じだったら天国に行けるそうですが、私はあえて数えませんでした。
ここはイスラムが中央アジアに進出した頃、預言者ムハンマドの従兄・クサム・イブン・ア
ッバースが布教に訪れ、ゾロアスター教徒に殺害された場所です。彼を祭った廟やチィ
ムールの妃や息子や乳母の廟が立ち並んでいます。コンパクトに、その当時のサマル
カンドの工芸や建築技術が伺いしれる場所です。へたな博物館より、よほど面白い(興
味ある人には)所です。本当は、どこかに座って哲学的に人生を考えたかったのです。も
しかしたら聖人がヒントをくれるかもしれません。やはり、時間がありませんでした。ところ
で、ここに居る人達は、片言の日本語を話します。よほど観光客が訪れるのでしょうね。
 その後はウルグベクの天文台に行きました。悲運の王・ウルグベクは科学の発展に努
めたせいで、保守的な宗教者達に暗殺されます。破壊された天文台は愚かな人類の傷
跡でした。彼の残した天文表は、弟子が逃れてコンスタンチノープルで出版されます。な
にか居たたまれない気持ちになって、彼の功績を展示する博物館も見ずに、天文台の跡
地に佇んでいました。そこからはサマルカンドが見下ろせました。この旅で最後に見たサ
マルカンドでした。3時間だけの探訪でした。
 タシケントへの帰り道、くる途中で見た林檎売りの村で、梨と林檎をクシャコフさんが買っ
て食べました。林檎は酸っぱく、昔の日本の林檎みたいでした。でも、梨は絶品でした。(
これがお腹をこわす原因になろうとは、思いもしないでパクパク食べていました)
シャーヒズィンダ廟
シリンベク・アカ廟
死者の通り
ウルグベク天文台跡
天文台から見たサマルカンド
道端の林檎売り

サマルカンドの
       思い出

 サマルカンドからタシケントへ戻りました。同行したO氏が短いながら、仕事の都合で
明日に帰国します。皆で最後の夜をどうしようかと相談。夜の10時だったので、レスト
ランは諦めて、屋台が並ぶ、通称ブロードウェイへ行くことにしました。ホテルからチムー
ル広場をはさんで反対にある、タシケントで最もナウい(おいおい)場所です。路上の物
売りも楽しい場所です。金曜日という事もあって賑わっていました。ここの屋台のサービ
スする人は、全員女性で、何故か派手なミニでボディコンなのです。客引きなのかなあ。
食べるところというよりキャバクラみたいなんです。食事はいつものように、サラダ、ヨー
グルトディップ、シャシュリク、スープなどなど、サービスしてくれたのは韓国系の子でし
た。こうした店が何十軒も並んでいて、それぞれの味(色気も?)を競っています。飲み
物はウズベキスタンビールに挑戦・・・・・コメントは難しいのですが、ビールだと思わなけ
れば・・・・疲れと ウォトカでグルグル〜帰るOさん!お疲れ様でした〜
ウズベキスタンご一行様

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