ウズベキスタンへの旅

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8月22日から一週間、夏休みを利用してウズベキスタンへ行ってきました。
そのレポートです!

2001年・青いモスクの国へ

レギスタン広場(サマルカンド)

日本からウズベキスタンまで
7000km。直行便で8時間半。
今のところ関空発着のみ。私は
成田からソウル経由です。

日本との時差は4時間。
1US$=475Cÿm(公定レート)
 〃  =1000Cÿm(商業レート)
  Cÿm:ウズベキスタン・スム(2001年8月)

アッサラーム・アライクム!

地図の黄色がウズベキスタン共和国
ウズベキスタン共和国
面積:447.400km 人口:2.291万人 
民族:ウズベク人75.8%(他ロシア人、タジク人、カザフ人など)
言語:公用語はウズベク語ですが、民族交流語としてロシア語が使われています。
宗教:ウズベク人はイスラム教スンニー派。
ウズベキスタンの国旗
                         レポートー1
 ただいま〜戻ってまいりました。あれほど薬を持っていったのに・・・お腹をこわし
てしまいました。グシュ・・どうも中央アジアは「水あたり」するようです。でも軽い
症状なのは抗生物質のおかげですね。ありがとうございました!K先生! 
 今回の旅行の目的は、中央アジア料理店の下調べでした(ワインなども含めて)
正直に書きますと、残念ながらワインは、造り手の意識が、国内消費及び旧宗主
国のロシアをターゲットにしていて、両方が満たされている現状に満足していて、
国際市場に興味がない状態でした。日本に輸入できるものは殆どないという・・・
期待とは裏腹な結果に終わってしまいました。素材の葡萄は素晴らしいので、外
国資本でも入れば、素晴らしいワインが造られる下地がある国です。
                       料理も色々なものを味見しました。でも専門
                      店として考えると、日本では、かなり厳しいか
                      なあ〜勿論、熱烈なファンは獲得出来ると思
                      うのですが。一般的には採算を取るのが厳し
                      いかもしれません。。そのうち、私が覚えてき
                      た料理の数々の試食会を行いますから、皆さ
                      んの意見を聞きたいですね。
                       ウズベキスタンという国は豊かな国です。砂
                      漠から3000mを越える山々、豊かな食材・・・
                      優しい人々。なかでも今回、私が注目したのは
工芸品の数々です。帰国直後なので、とりあえず、お土産の写真を、お見せします
ね。ほとんど35mmで撮ったので他は現像を待ってください。(8月29日)

■ウズベキスタンへの旅−1

 皆さんは笑ってしまうかもしれませんが、私は自分の前世・・・いえ、先祖が大陸の
ステップ・草原からやってきた騎馬遊牧民だと思っているのです。根拠は何もありま
せん。ただ、モンゴルから中央アジアの草原を見ると、馬で駆る自分の姿が自然に浮
かんで、鳥肌がたつような、血の逆流を感じるのです。勿論、ただの思い込みかもし
れません。でも、この地域だけに感じる懐かしい郷愁や、胸がしめつけられるような
感じに・・・自分で自分が納得できず、そう思う事で、精神的な混乱を収めている・・
そんな感じです。これは子供の頃からの事ですから、ずーっと妄想を抱き続けている
のかもしれません。この感覚は突然やってくるのです。(精神鑑定をうけた方がいい
かも?)思い込みや妄想と思う常識的な自分と、もしかして・・という、もう一人の自分
がいます。
 今回、ウズベキスタンで、久しぶりにこの感覚に襲われました。それは、カザフスタ
ンとキルギス国境に立った時でした。標高2000m。見渡す限り、茶色い木も生えてい
ない山々。遠くに天山山脈の白い万年雪の頂。エメラルドグリーンの湖。空を舞う鷹
や隼。逆光にキラッと隼が翼を返した時に、ガーっと・・・その感覚に襲われたのです。
文才があって、脚本でも書ければ、いい題材になるかもしれません。その前に飲んだ
馬乳酒のせいだったりして・・・(笑)
                 こんな妄想を抱いている私ですから、なんとか、この地域
                と関わって仕事がしたいと、いつしか思うようになっていまし
                た。今回のウズベキスタンへの旅は、その第一歩です。
                      
                     
                 出発の日は台風11号が関東に上陸する日でした。「本当
                に行けるのかなあ」と思いつつの待ち時間です。ビザが発
給されたのが前日で、こんなに実感の湧かない海外は初めてでした。無茶なスケジュ
ールで大使館のZ氏や旅行会社のK氏には、本当に、ご迷惑をお掛けしました。台風
にも関わらず、飛行機は30分遅れで離陸!上にあがってしまえば・・・
 乗り換えのソウルは曇りながらも夏!待ち時間が3時間。空港で同行のO氏とH氏と、
韓国定食とビールで「出発できてよかった〜」と乾杯!この頃になって、やっと実感が
湧いてきました。それにしても新空港は素晴らしい。なにより、職員が気持ちいいサー
ビスを心掛けている。空港だけで韓国が好きになりました。帰国する時にも、韓国を見
直す事件がありました。金大中大統領閣下!あなたの国は素晴らしい!カムサ・ハン
ニダ!
 夜の9時をまわった頃にゲートへ。おお〜当たり前だけど、ウズベキスタン人が一杯い
ました。韓国の人も多いのです。ウズベキスタンには、第二次世界大戦、ソビエトによっ
て強制移住されられた人々も多く、現在も関係は深いのです。
 空港でしこたま飲んで、結構いい調子で国旗色に塗られたウズベキスタン航空の飛
行機へ乗り込みました。 現地時間は、夜の10時、タシケント到着は1時でした。あっと
いう間に寝てしまったので、到着もあっという間でした。
 飛行機からバスで空港の建物に向います。夜の明かりに浮かぶ空港施設は工事中
なのか、ガラスが割れて廃墟のようです。倉庫のような到着ロビーにつきました。旧ソビ
エト時代のボンネット・トラックから、農作業している状態でトランクが倉庫に降ろされて
いました。入国審査は、想像通り社会主義時代の国のままでした。ソビエト時代は、資
源も豊富なので投資も多く、潤っていたのですが、独立後、自立するために模索し続け
ています。放置された工事中の建物が多いのが、現在のウズベキスタンがおかれた状
況を如実に表しています。海外資本が入らないのも、二重貨幣構造の経済が、定着し
てしまったせいです。それでも逞しい韓国資本は、しっかり入っています。抜け道が設け
られた、こうした経済には、山師的な儲け話が横行しています。
 空港には大使館のZ氏のお兄さんのカミールさんと、レストラン経営者・クシャコフさん
が、深夜にも関わらず待っていてくれました。挨拶もそこそこに滞在先のウズベキスタ
ン・ホテルへ。ここはマレーシア資本らしく国旗が翻っていました。ソビエト時代は国営
だったらしく、威風堂々としたりっぱな建物です。上の人はロシア系が多く、ボーイはウ
ズベク人でした。部屋に入るなり「チェンジ・マネー?」と・・・今回は1ドル=1000スム
でした。後で気づいたのですが、滞在費はドル払いですが、バーとかはスム払いする
方が得でした。例えばトルコ・コーヒーが2ドル表示ですが、スムでは875。つまり公定
レートで計算しているのです。使い切る分だけ換えてもらって、スム払いしましょう。公
の場所で換えるのは、再両替する時に換金証明書が必要だからです。いくらポリスも
闇両替してくれるからといって、公の場所(バザールとか)でして、見つかるとヤバイの
で気をつけましょう!
                 空港の混沌とした状態から心配していたのですが、次の
                日の朝、一人で散歩しました。短めの箒で、せっせと掃除す
                る人々。「ああ〜ここはアジアだなあ」という実感。日本も昔
                は、こうした風景があちこちで見られたものです。違うのはミ
                ニスカートにエプロンをしたロシア娘や韓国娘だという事です。
                この国でボデコン系の格好をしている人には、ウズベク語は
                通じません。やはりロシア語を覚え直せばよかったと後悔。
                街は綺麗で落ち着いていて、第一印象とは随分違います。
                誰に挨拶しても、はにかみながら会釈します。わたしの経験
                から、こうした国は好きになる事が多いものです。ともかく気
                持ちのいい朝でした。待ち合わせの時間にホテルに戻りまし
                た。
                 最初はテレビ塔に昇って、上空から街を見せたかったよう
                なのですが、残念ながら閉まっていました。高いところが苦
                手な私は「ほっ」。何とかと煙は高いとこが・・・とか強がり云
                ってても、やはり、足がすくんでキューとなるんですよ。カミー
                ルさんは文化庁の人間なので、しきりに博物館めぐりをすす
                めます。正直言って、こういう国の博物館はプロパカンダの
場所なので、ちょっと〜それより、生きたウズベキスタンを見たいので、バザールに行
きたいと言いました。特に、旧市街にあるチョルスー・バザールに興味があったのです。
渋い顔をしましたが、カザン(ウズベキスタンの国民食のプロフを作る鉄鍋)も欲しいと
いう事で、OKがでました。そうそう!市場を見れば、その国の有り様が把握できます。
庶民は何を求めているか、売っているもので推測できますからね。旧市街は新市街の
中心から5kmほど西に行ったところです。ソビエト時代の整備された新市街と違って、
旧市街は中東のカスバやメディーナのように迷路とカオスの中にあります。カミールさ
んは、私達にきれいなウズベキスタンだけを見せたかったようです。旧市街の路地を目
をそむけるようにしていました。市場は思っている以上に野菜が豊富でした。セリや長
ネギ(わけぎ類)や香菜、パセリの類は何種類もあります。丸いドームの中は政府のコ
ントロール下にあります。スパイス、ソーセージ類、米、ナッツなど多種多様でした。変
わった所では韓国系の人達のコーナーがあって、ナムルやキムチが売っています。日
本にないものは黄色い人参です。パプリカかと思っていたプロフに入ってたのは、人参
でした。千切りにして売っています。フルーツはメロン、スイカ、ザクロなどが並んでい
ました。特にザクロの中身は大きい粒でした。外で売っていたサムサ(1個10円くらい)
を食べました。シャシュリクやプロフも食べたかったのですが、止められてしまったので
す。結局、買い物したのはカズ(馬肉ソーセージ)とバルバリス(プロフに使う)だけでし
た。市場の後は近くの板金屋が集まった一角に行き、鉄製のカザン(プロフ用)を買い
ました。直径1mくらいで13ドルでした。重い!それは大きなスーツケースを持ってき
たO氏が日本まで持っていってくれることに・・・ごめんなさーい!シャシュリクの串はた
だの尖った板だったので買うのをやめました。
 それから、やっぱり博物館へ・・・ロシア公使の私邸を博物館にしたウズベキスタン工
芸博物館へ・・・内容は正直いって・・・でも建物は見る価値があります。イスラム建築の
粋を集めた建物です。最後は工芸品のショップを通らなければ外に出れません(おいお
い)結局、シルクのアースカラーのスカーフを買いました。12ドル!(ちょっと高いなあ!
ホテルのショップのほうが安かった!)

国境の山々
チムール広場から見たウズベキスタン・ホテル
500と200スム紙幣
チョルスー・バザール
スパイス売りのおばあちゃん
プロフの人参切り
バザールのプロフ売り

バザールの風景

ウズベキスタンへの旅−2へ

          目次
ウズベキスタンへの旅ー1(このページ)
ウズベキスタンへの旅ー2(料理編)
ウズベキスタンへの旅−3(サマルカンド編)
ウズベキスタンへの旅ー4(怒涛編)
ウズベキスタンへの旅ー5(帰国編)
ウズベキスタンの位置の地図
おみやげの写真
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